時間をかけて考えている。
情報も集めている。
比較もしている。
それなのに、
決めたあとに
「何か噛み合っていない」
という感覚だけが残ることがある。
考えが足りないわけではない。
雑に決めたわけでもない。
それでも、
判断と現実の間に
わずかなズレが生まれる。
この状態は、
周囲からは見えにくい。
外から見ると、
「ちゃんと考えて決めている」
ように見えるからだ。
本人だけが、
小さな違和感を抱えたまま
次に進む。
多くの場合、
このズレは
思考の量とは関係がない。
「もっと考えればよかった」
という後悔の形をとるが、
実際には
考える量は十分だったことが多い。
ここで置かれている前提がある。
それは、
考えを積み重ねれば、
判断は現実に近づく
という前提だ。
論理を整え、
条件を整理し、
一つずつ検討する。
この方法は、
長い間、
多くの場面で有効だった。
けれど今、
判断が置かれている環境は
以前より複雑になっている。
評価軸は一つではなく、
結果はすぐに見えず、
途中で状況が変わることも多い。
その中で、
思考だけを積み上げていくと、
別のズレが生まれる。
それは、
「どこから考えているのか」
が確認されないまま、
思考が進んでいくことだ。
立っている位置。
守ろうとしている前提。
判断の出発点。
それらが未確認のまま、
論理だけが積み上がる。
その結果、
考えは整っているのに、
現実との距離が生まれる。
判断自体は
間違っていないように見える。
けれど、
自分の感覚とは
少しずれている。
このズレは、
失敗とは言い切れない。
結果が出ることもあるし、
評価されることもある。
それでも、
「これでよかったのか」
という感覚だけが残る。
定点に戻って見ると、
ズレの正体は
能力でも努力でもない。
思考が生まれた位置と、
判断を求められている位置が
ずれている。
それだけのことがある。
ちゃんと考えているのに
ズレる状態は、
珍しいことではない。
むしろ、
環境が変わった今、
起きやすくなっている現象だ。
この感覚は、
間違いのサインではない。
前提と位置を
見直す余地がある、
という痕跡として
残っていることがある。
観測としての整理
「ちゃんと考えているのにズレる」
その状態は、
思考不足では説明しきれない。
判断が生まれている
位置と前提。
そこに目を向けると、
ズレは
説明可能なものとして
輪郭を持ちはじめる。
