判断に迷ったとき、
人は立ち止まるよりも先に、何かを増やそうとすることが多い。
情報を集める。
条件を付け足す。
誰かの意見を聞く。
「もう少し材料があれば決められる」
そう感じている間、判断は保留される。
考えていないわけではない。
むしろ、よく考えているように見える。
それでも判断は軽くならず、
少しずつ重さを増していく。
この「増やす」という動きは、
失敗や迷いとして認識されにくい。
比較対象が増え、
検討項目が増え、
リスクの洗い出しが増える。
どれも、
判断を丁寧にしようとした結果だからだ。
その背景には、
一つの前提がある。
判断できないのは、材料が足りないからだ。
情報が不足している。
視点が足りていない。
だから集める。
この前提は、
これまで多くの場面で
合理的に機能してきた。
選択肢が限られ、
基準が共有されていた状況では、
材料を増やすことは
判断の精度を高める行為だった。
「足りないものを補えばいい」
それで十分だった。
けれど今、
判断の前提は変わっている。
正解は一つとは限らず、
評価軸も複数あり、
結果は時間差で現れる。
この状況で材料を増やすと、
別の現象が起きやすくなる。
情報が増えるほど、
判断軸は分散する。
どれを基準にするのか。
何を優先するのか。
その確認がされないまま、
比較だけが続く。
結果として、
判断できないのではなく、
どこから判断しているのかが
分からなくなっていく。
外から見ると、
この状態は
「慎重すぎる」「考えすぎている」
と映ることがある。
しかし実際には、
判断は止まっていない。
材料を積み上げるという形で、
動き続けている。
定点に戻って見ると、
違う輪郭が見えてくる。
判断が進まない原因は、
情報不足ではない場合が多い。
前提が確認されないまま、
材料だけが増えている。
その状態では、
増やすほど判断は軽くならない。
増やすこと自体が
悪いわけではない。
慎重さも、
検討も、
否定されるものではない。
ただ、
前提が未整理のまま
増やす方向に進むと、
判断は説明しにくい形で
重くなっていく。
判断できないとき、
人は何かが足りないと感じ、
増やそうとする。
その動きは自然で、
これまで多くの場面で
機能してきた。
けれど前提が変わった今、
増やすほどに
判断が遠のく場面もある。
それは失敗ではなく、
構造の変化として
起きている現象だ。
