判断の場面で、
「間違えたくない」という意識が
以前より強くなっている。
小さな選択であっても、
後から振り返られる。
記録が残る。
比較される。
そうした前提が広がると、
判断は自然と安全側に寄る。
これは臆病さではない。
環境への適応だ。
かつては、
判断の結果は
その場で完結することが多かった。
影響範囲も限定的で、
修正も比較的容易だった。
しかし今は、
一つの選択が
長期的に紐づく。
履歴は残り、
評価は蓄積され、
他者と並べて比較される。
その構造の中では、
「間違えないこと」が
合理的な目標になる。
すると、
判断の基準は変わる。
挑戦するかどうか、ではなく、
損失を避けられるかどうか。
広げるかどうか、ではなく、
守れるかどうか。
この変化は、
個人の性格の問題ではない。
構造が変われば、
合理性も変わる。
間違えないことが
優先される社会では、
判断は慎重になり、
速度は落ちる。
それは退化ではなく、
環境の反映だ。
ただ、
以前と同じ基準で
「決断力」を測ろうとすると、
そこにズレが生まれる。
間違えたくない判断が増えたのは、
人が弱くなったからではない。
判断の前提が
静かに変わった結果だ。

