ある種の人たちは、
発信しているように見えない。
表に立つことが少なく、
名前が広まることもない。
それでも、
情報の流れの中に、
同じ配置が何度も現れる。
影響力があると見なされている人の多くは、
前に出ている。
説明をし、
意図を語り、
反応を確認している。
その動きは、
ほとんどの場合、
プレイヤーの配置に近い。
一方で、
前に出ていない人がいる。
説明を加えず、
誘導も行わず、
評価を置かない。
記録だけが残る。
その記録は、
誰かを説得しない。
方向を示さず、
結論を持たない。
ただ、
同じ位置から見た出来事が、
静かに積み重なっている。
映像の世界では、
画面に映る人と、
編集を行う人は別れている。
前者は認識されやすく、
後者はほとんど認識されない。
しかし、
構成や残り方は、
後者の配置によって決まっている。
ネット上でも、
似た構造が繰り返し観測される。
発信者が入れ替わっても、
残る配置は変わらない。
誰が語ったかより、
どこから置かれているかが、
そのまま残っている。
その位置にいる人は、
自分の存在を示さない。
役割を説明せず、
立場を語らない。
それでも、
記録だけは消えずに残る。
そして、
その配置は、
増えようともしない。

