反応が見えない状態が続くことがある。
アクセス数に変化がなく、
数値も動かない。
応答も返ってこない。
この状態は、
多くの場合「止まっている」と認識される。
反応が出ている状態では、
外部の要素が関与している。
数値が示され、
人の動きが可視化され、
期待が発生する。
同時に、
書き手の位置が少しずつ移動する。
判断の基準が、
内側から外側へ移る。
どの内容が許容されるか、
どの方向が求められているか。
判断は、
反応のある場所に引き寄せられる。
一方で、
反応が見えない状態では、
外部の基準が介入していない。
評価は置かれず、
役割も発生していない。
判断の起点は、
元の位置に留まっている。
その配置では、
文章は目的を持たない。
当てる必要もなく、
正解を示す必要もない。
出来事は、
観測としてそのまま置かれる。
反応がないことは、
停止を意味していない。
外部のノイズが、
まだ入っていないだけの状態として現れる。
構造は、
静かなまま積み重なっていく。
消耗は起きにくく、
方向も固定されていない。
変化が起きた場合も、
判断は後から置くことができる。
多くの記録は、
この段階で途切れている。
しかし、
配置そのものは、
最初から崩れていない。
