ある媒体は、
何度も「終わった」と言われている。
流行の変化や、
収益構造の変化が起きるたびに、
消える対象として挙げられる。
それでも、
同じ形式が残り続けている。
理由として挙げられる説明は、
いくつか存在する。
検索があること、
蓄積されること、
仕組みとして残りやすいこと。
それらは、
一定の場面では観測される。
ただ、
同じ条件でも消える例はある。
残っているものと、
消えているものを並べると、
使われ方に違いがある。
即時の反応を前提にしている場合、
人の動きと強く結びついている。
数値の変化が直接、
判断に影響している配置も見られる。
一方で、
別の配置も観測される。
書き手が前に出ず、
記事だけが残っている状態。
評価や反応がなくても、
配置そのものは維持されている。
その配置では、
媒体が何かを促している様子はない。
方向を示さず、
結論も置かれていない。
ただ、
同じ位置から見た記録が、
並んでいる。
制作の難易度が下がるにつれ、
量や速度の差は縮まっている。
それでも、
残り方に違いが出る。
内容の新しさより、
編集されている位置が、
そのまま残っている。
依存先が分散している配置では、
変化の影響が限定的になる。
特定の数値や、
外部の判断に左右されにくい。
結果として、
形式が変わらずに残る。
この傾向は、
特定の時代に限らず、
繰り返し観測されている。
