ある状態にいる人たちは、
動き続けている。
仕事の量が多いかどうかは、
一定ではない。
能力の差も、
一様ではない。
それでも、
同じ疲労の兆しが、
繰り返し現れる。
その人たちは、
何かが来たら動く。
依頼があれば対応し、
指示があれば処理する。
役割は明確で、
手順も存在している。
動き自体が、
止まっているわけではない。
一方で、
判断が置かれている位置は、
常に外側にある。
何をするか。
どこへ向かうか。
いつ終わるか。
それらは、
その人の手元には置かれていない。
動きは続いているが、
判断の起点は移動していない。
正解は外にあり、
基準も外にある。
その状態が続くと、
疲労は行動ではなく、
判断の手前に蓄積していく。
迷いが増え、
止まる理由が見つからなくなる。
断る位置がなく、
休む判断も置けない。
動いているにもかかわらず、
どこにも立っていない感覚だけが残る。
別の配置も、
同時に観測される。
動く前に、
位置が先に置かれている状態。
扱う範囲と、
扱わない範囲が、
あらかじめ分かれている。
その結果、
動きは断続的になり、
常時ではなくなる。
二つの配置は、
善悪で分かれていない。
ただ、
立っている位置が異なる。
同じ動きでも、
疲労の現れ方が、
違って見える。
この違いは、
努力や意識の問題として
語られていない。
構造として、
繰り返し現れている。
